※ドル円の相場解説もこの記事の下にアップしています。
たまにトレードに役立つ哲学的思考のコラムを書いています。
哲学は常識を疑う学問で「哲学的思考」をもつことは、相場を見る眼を養うことでもあります。
私自身は現象学というのを学んでいます。
簡単にいうと、現象学というのは、物事をニュートラルに見るという学問です。
人間はエゴで動いていますから、その判断は往々にして偏る傾向にあります。
人は自分にとって気持ち良いと思えることを称賛し美化するものです。
すると、真実は曲げられていくことになるのです。
人の物事の判断にはネガティブとポジティブがあると思いますが、
私は、多数がポジティブに判断していれば、ネガティブ要素を考えてニュートラルに戻し、
また多数がネガティブに判断していれば、ポジティブ要素を考えてニュートラルに戻す・・・
というような思考トレーニングを常に行っています。
それが相場にも生きてくるのです。
今日はその一環で「物事の基軸を変えると、見える世界が変わる」という話をしましょう。
現在の社会で物事を判断する物差しとして、一番使われているのは「善悪」でしょう。
勤勉、勤労、親切、人助けなどは、善です。一方で怠惰や犯罪などは、悪でしょう。
私たちの社会は、主に善悪の二元論で成り立っています。
多くの人が善に思うか、悪に思うかで、物事を判断し、決断を下しています。
しかし、その判断の物差しが変わるとどうなるでしょうか?
たとえば善悪ではなくて、まったく別の「欲」の物差しで物事を判断してみるとどうなるか。
するといままで善だと思っていたことが、ただ欲が強かっただけだということにもなるのです。
例えば政治家をその物差しで見てみましょう。
自分は平和な世の中をつくりたい、誰もが豊かに暮らせるようにしたいと訴える。
そのお題目は立派で善といえば間違いなく善ですが、
欲の物差しで見れば、自分はこうしたいという「欲がとても強い人」でもあるのです。
欲の強さの基準で物事を見直すと、善悪の基準で構築された世界観は吹き飛びます。
願望が強い人は、ただの欲が強い人に成り下がるのです。
私はあやふやな善悪の視点よりも、この欲の物差しで、よく物事を見るようにしています。
いっていることとは別に「この人はずいぶんと欲が強いな」
あるいは「あまり欲がないな」というような感想を持ちます。
この欲が強いか弱いかという物差しで、人を見ると気づかされることが多いのです。
さらに「欲の強弱」の物差しに「不満と満足」の物差しを足して見ると視界がクリアになります。
欲がある人間というのは、欲が満たされれば「満足」であるし、満たされなければ「不満」なのです。
世の中で文句を言っている人たちは、つまり自分の思い通りにならないから「不満」なのです。
さて、欲の強弱を縦軸として、不満と満足を横軸にすると、こんな図が浮かび上がります。
ひとつひとつのカテゴリーについて説明しましょう。
欲が強くて、不満が大きい 「クレーマー」
自分はこうしたい、気持ちよくなりたいという欲が強いから、
自分の思い通りにならないと文句をいいます。
停滞している政治に対しての批判、活躍しないアスリートに対しての批判、
いまひとつな商品に対しての批判、スキャンダルを起こすアイドルに対しての批判・・・
みな、それに対したときに自分が気持ちよくなれていないから、
不満なわけで、批判が大きくなるのです。
根っこには「自分が気持ちよくなりたい」という大きな欲があります。
その不満を他人に解決してもらおうという依存心が高いとクレーマーになります。
人を頼らず自分で解決しようと考えればこのカテゴリーからは脱却できるでしょう。
欲が弱くて、不満は大きい 「諦める」
物事が自分の思い通りにならないという不満は大きいのですが、
欲が弱くなってくると、情熱は醒めて物事を諦めるようになります。
どうせなるようにしかならないからと、諦める。だから声を大にして不満を伝えることもしない。
「どうせ投票したって何も変わらないから諦める、投票にいかない」
「結婚したいけどモテないしお金がないから、諦めている」
こうした閉塞感が今の世の中には蔓延していると思います。
欲が強くて、満足している「成功者」
イメージとしては成功している起業家です。
自分がこうしたいという欲が強く、
その欲を叶えるために自分で努力して成功している人です。
自分がやりたいことを実現できている。自己実現と自己満足。
多くの人が憧れているカテゴリーでしょう。
しかし、このカテゴリーに入るには素質がいります。
欲が弱くて、満足している「悟り」
自分はこうしたいという欲が少なく、今の生活には満足している。
いわゆる草食人間や、断捨離のイメージです。「悟り世代」という言葉もあるようですが、
それはどちらかというと「諦める」ほうであると思います。
左の「諦める」との違いは、たとえば諦観者はいろいろと欲しいものがあるのに、
お金がないから買えないと不満に思っているのに対し、
悟り者は、とくに欲しいものはなくて、今あるもので十分満足しているといったイメージです。
この基軸で社会を見渡すと、
クレーマーが45%、諦観者が45%、五分五分の多数派だと思います。
そして、成功者が1%、悟り者が9%といったところで少数派でしょう。
この世界観においては、成功者や悟り者にならなければ幸福とはいえません。
不満側は不幸であり、満足側は幸福です。
元々欲の強いクレーマーはがんばれば、成功者になり得ます。
諦観者は、不満に感じていることを満足に思えるかどうかで、悟り者になり得るでしょう。
さて、この図式はトレーダーにも当てはまるのです。
トレードの世界も同じです。
「買ったのに下がる!」と相場に文句を言っているクレーマーがほとんどなのですね。
それは欲が強いからです。
自分がこうしたいという欲があっても、相場はその欲望を叶えてくれません。
特に相場でのクレームは、余裕がなくなってくるために人間の欲がストレートに出てきます。
自己を正当化するために他者を攻撃する揚げ足取りのいちゃもんが増えてきます。
業者のせいであるとか、相場がおかしいとか、稚拙な反論をやりはじめます。
そうなったときは、自分の欲の強さを自覚して反省すべきでしょう。
一方でまた「どうせ買っても下がるんだろう?」と諦めている人も多いでしょう。
これは敗北が続くと厭世的な気分になるのは当然です。
クレーマーが疲れ果てると、言っても無駄だという諦観者になるのです。
そして、このカテゴリーにくると次はもうFXをやるのを止めます。
やがて疲れ果てて退場していくことになります
成功者は、まさに真のトレーダー、カリスマトレーダーといえますが、
強い欲をもっている人は、破綻のリスクは大きいのです。
金を手に入れても、もっと欲しくなってきてどこかで大きな失敗をしやすい。
FXでいうと10万そこいらの儲けでは満足できずに、月収何百万何千万を実現しようと考える。
満足が出来ているのは、今だけかもしれず、それを長期的に保持することは至難の業です。
悟り者は、ほどほどの稼ぎで満足できる人たちです。
月にFXで10万も勝てればまずまずだと思い、負ける月もあって当然だろうと考えている。
そして、負けたとしても「負けるときはこんなもんだ」とサバサバしている。
クレーマーや諦観者との違いは、素人か熟練者かということです。
悟り者はトレードに対してそれなりの技術に裏打ちされた自信があり、
成功者ほど欲が強くなく過信はしていないということです。
収支の内訳のイメージとしては、
クレーマーは、ハイレバレッジでリベンジトレードを繰り返してとんでもない大損をします。
諦観者は、放置をしやすく損切ができなくなって、大きな損を抱えます。
ただ、クレーマーより損失は少ないでしょう。
成功者は、一番稼ぎが大きくなりますが、潜むリスクも大です。
悟り者は、ほどほどの稼ぎとなりますが、潜むリスクは少なくなります。
才能のないものは、悟り者を目指すべきでしょう。
もちろん私も悟り者でありたいと考えているのです。
長々と話ましたが、このような哲学的な思考で相場を見ることは大事です。
そしてこれは一例に過ぎません。
みなさんも自分なりの哲学を持って、その哲学を相場に当てはめてください。
相場は欲望の渦なので、自分自身の考えを持たないと、どんどんやることがブレてきます。
それを防ぐためにも自分なりの考え方というのが軸として必要なのです。