# FX意識改革114 トレーダーは観念論と実在論どちらの立場でいるべきか?
2016.02.22 Monday
隔週でトレードに役立つ哲学の話を続けています。 今回のテーマは「認識論」です 哲学の分野では「認識論」という一大テーマがあって、 古代ギリシャの時代から現代まで受け継がれています。 「認識論」は、存在しているモノの真理をどう認識するかという思想です。 よくある認識論の命題は、テーブルにリンゴを置いて、 「このリンゴは、ここに存在しているか否か?」 という問いです。 哲学を意識していない人は、この当たり前の問いをいぶかしがります。 「こうして見て触れるのだからここにリンゴはあるでしょう!」と思うわけです。 しかし、哲学的には、 果たして、このリンゴが本当に存在するかどうかはわかりません。 このリンゴが存在するか否かを考える材料として、 1700年代のアイルランド哲学者バークリーの言葉を引用しましょう。 彼は「存在することは知覚されることである」と言いました 裏を返せば、自分が知覚(認識)していないものは、 そこに存在していないということです あなたがリンゴがあると思えば、それはあるし、 ないと思えば、それはないのです このような考えを「観念論」といいます そんな馬鹿な!?と思うかもしれませんが、 日常におけるこういうシーンを思い浮かべれば、なんとなく頷けると思います。 いつもは車で素通りする通勤路を休日にじっくりと歩いてみようと思った。 テレビでやっている散歩の番組みたいにぶらぶらとゆっくり歩いていたら、 「あれ?こんなところにしゃれたカフェがあったのか」と初めて気づく。 そういうことって頻繁にありますよね。 車で通勤しているときは、自分はそのカフェを認識できていなかった。 ということは、このカフェは自分の世界では存在していなかったと同じなのです。 あるいは遠いアフリカでは、今も食糧不足で困っている人がたくさんいます。 それなのに私たちは毎日おいしいものを食べる贅沢な暮らしをしています。 けれどもそれについてあまり心は痛まないというのが実際のところでしょう。 なぜかといえば、 それはアフリカで困っている人たちを自分が認識していないからです。 となればアフリカで困っている人たちは存在していないのと同じです。 だから心は痛まないということです。 ぼんやりと認識すれば少しは心が痛み、 しっかりと認識していれば非常に心は痛むでしょう。 認識するにつれて、影が実体となって表れて存在が確固なものとなるからです。 もしかしたらこの宇宙のどこかに人間と瓜二つの知的生命体がいて、 その星ではとんでもないホロコーストが起こっているかもしれません。 しかし、私たちはそれを認識できていないのだから、 それは存在していないのと同じであり、その事件について心はまるで痛まないのです。 宇宙の話になりましたが、実際に、宇宙には人間が認識していないために、 存在していないとされているものがたくさんあります。 たとえば宇宙の大部分は暗黒物質と呼ばれる謎の構成物でできているそうですが、 それをまだ人間は認識できていないため、その存在を確認できていません。 つい先日もいまさら、 太陽系を回る新しい惑星があるかもしれないというニュースが世界中を駆け巡りました。 それは地球の質量の10倍はあり、太陽を1万年〜2万年かけて回るそうです。 もしかしたら太陽系には惑星が10個、いや100個あってもなんら不思議ではないのです。 しかし、現在の私たちはそれを認識できていない。 だから、私たちにとってはそれは存在していないのと同じであるといえるでしょう。 この先、人類が進化して脳が大きくなりもっと多くのものを認識できるようになったら、 見えないものがどんどん見えるようになり宇宙はまるで別の姿に変わっていくはずです。 ここまで話せば「ここにリンゴは、存在するか否か?」というのは、 単純な話ではなく、とても深い命題だということがわかるでしょう。 バークリー流にその問いに答えれば、 自分がこれは「リンゴ」であると、認識をすれば、それは確かに存在する 反対に認識していない場合は、それは存在していないのと同じである ということなのです。さらに詳しく説明しましょう。 たとえばリンゴに見向きもしない生物がいますよね? リンゴを食べない魚から見たらリンゴなんてものは存在していません。 それが川を流れてきても、魚は知らんぷりでしょう。 魚からみたらリンゴなど存在していないのと同じです。 と、考えると、つまり私たちが存在していると思っているものは、 ただ人間が考えていることに過ぎないのです。 つまり、それが存在するというのは、ここが大事なポイントですが、 それについて自分が「何らかの興味や価値を見出している」ということなのです 自分にとって価値のないモノや人というのは、実際、影が薄いはずです。 それは、存在していないといってもいいでしょう。 卒業アルバムの写真を見ると、 「あれ? こんなクラスメイトいただろうか?」と思うことがありませんか? その場合は自分にとって、その人は興味の対象ではなかったのです。 もっと残酷に言えば、自分にとって何の価値も見いだせない人であった。 だから認識できておらず、自分にとってその人は存在していないのと同じだったのです。 今まで私は、わざわざ、存在していないのと「同じである」 というあえて断定を避けた言い回しをしてきました。 今までの私の話を聞いて、あなたはこう思っているかもしれませんね。 自分では「それ」を認識しておらず、 そのため自分の中では「それ」が存在していなかったとしても、 「それ」は自分が認識できていないだけであって、 現実的には「それ」はちゃんと存在はしているんじゃないのか? と。はい、私もそう思います。 これを「実在論」と呼び観念論の対義語でもあります。 哲学を意識していない人はこの考えであるでしょう。 さきほどの通勤中に見逃していたカフェの話では、 カフェは前からずっと存在していたのです。 いつも営業を続けていて、そのカフェを好きな人もたくさんいました。 ただ、自分が認識できていなかっただけなのです。 自分がこの世界にいなくても、そこにカフェはあったはずです。 クラスメイトにしても、実際にちゃんといたはずなのです。 ただ、その人の言動に興味が持てず、自分が認識できていなかっただけなのでしょう。 さて、そろそろこのメルマガの本題に入ろうと思います。 私は、観念論にも実在論にも両方頷けます。 そして、モノや人、あるいは何らかの存在について一歩進んでこう考えています。 自分が「それ」について興味や価値を見出していれば、 「それ」は存在している 反対に「それ」について興味や価値を見出していなければ、 自分は「それ」について認識することができず、 自分にとって「それ」は存在していないのと同じである しかし、あくまで自分が「それ」を認識できていないだけであって、 客観的には「それ」は今もちゃんと存在をしている その場合は「それ」を意識せざるを得ない出来事が起こった時、 「それ」が自分の世界に初めて姿を現すことになる 前半はすでに説明したことですが、 後半の「それ」を意識せざるを得ない出来事が起こった時というのは、 一体どういうことでしょうか? たとえば歩いていて石に躓いて転んでしまったという「事故」です。 この事故の原因は、その石を認識できていなかったからです。 ぶつかる瞬間までは、その石は前からそこにあったけれども、 自分の世界の中ではあくまで存在はしていなかった。 だから自分はその石が見えておらずに躓いたのです。 しかし、躓いた瞬間、その石は、自分の世界の中に突然姿を現します。 転んだ痛みと共に「ああ!この石に躓いたのか!」と、 躓いた石をいやがおうにも意識=認識することになるからです。 こうなってはじめてその石がここに存在しているのだと言えるのです。 事故が起こらなければ、その石を気に留めることはなく、 今後もその人にとってその石は存在していなかったでしょう。 さて、ここで相場についても考えてみましょう。 相場でもこの石のような、やっかいなものが客観的に存在しています。 ずっと前から「それ」が存在しているのにも関わらずに、 「それ」が存在していないと考えている人たちが大勢います。 なぜならば「それ」について認識できていないからです。 負けているトレーダーのほとんどは、普段の生活では、 実在論者(自分の考えに関係なく世界は存在している)であるのに、 なぜかトレード中は観念論者(自分の考えにより世界が存在している) になってしまっているわけです。 はてさて相場における「それ」とは、一体なんのことでしょうか? 文を追う目を止めてちょっと考えてみてください。 つまり「それ」とは、「リスク」のことです と言えば、今までふわふわと聞こえていた哲学の話が、 ピン!ときて、相場とつながったのではないでしょうか? そう、ほとんどのトレーダーは、相場にある 無数の事故を誘発する石「リスク」を認識していません。 彼らの世界の中では「リスク」は存在していない(のと同じ)です。 だから、彼らはいつでもピクニック気分で、 能天気にレバレッジを最大まで上げて、損切はしないのです。 なぜならば、彼らの世界の中では「リスク」は存在していないからです。 しかし、突然相場が大変動して、 大きな含み損になったりロスカットしたりする事故が起こると、 彼らは「リスク」についていやがおうにも認識せざるを得なくなります。 そのとき初めて、地雷原の中をピクニック気分で歩いていた愚かな自分に気付くのです。 さて、トレードするときにあなたの世界には、 「リスク」は存在しているでしょうか? それはあなたがストップ(損切)を置いているかどうかで簡単にわかります。 ストップを置いてなければ、あなたは「リスク」について認識していない 認識していないのであれば「リスク」は存在していないのと同じです しかし「リスク」はあなたに見えていないだけであって、 今も確かにそこにずっと前からちゃんと存在はしているのです。 そして、残念なことに私たちはどれだけ注意を払っても、 相場に存在する「リスク」をすべて認識することはできません。 人間の目に見えない「リスク」は無数にあるのです。 先の東日本大震災では、 人間の「リスク」に対する認識力が貧弱であることが露呈しました。 そもそも私たち人間は「リスク」を認識することが難しいのです。 それは単純に「リスク」に価値を見出せないからです。 「リスク」はとても嫌なことです。 できれば、見たくない。向き合いたくない。認識したくない。 だから、主観的には存在していないのです。 しかし、それでは確実にいつか事故は起こります。 相場においても「リスク」は必ず存在すると考えて、 まず認識しやすいリスクについては、ちゃんと対処しましょう。 具体的には相場の変動に備えてストップを置く、レバレッジを抑える、 金利政策発表などの超重要な指標の前にはポジションを取らないなどです。 その上で自分が認識できない「リスク」があることも考慮して、 身を守るための最終防衛ラインというものを用意しておきましょう。 実際に相場が大変動すると、業者にログインができなくなり、 その間、損切やロスカットも働かない最悪の事態が起こる可能性があります。 もっと酷いことも起こるかもしれません。 こうした認識できない「リスク」に備える手段としては、 よく言われていることですが、 失くしてもいい余剰資金でトレードをやるということです。 自分の世界には、果たして「リスク」が存在しているか? 存在していなければ、リスク管理はしないでしょう。 あなたがリスク管理をしない、あるいはできないのであれば、 それは「リスク」をキチンと認識していないということなのです。 日常でも相場でも 観念論の立場では、すべては見えてこない 実在論の立場に立って、目を凝らす必要があります トレードを上手くやるためにも、それをもう一度よく考えてみてください。 メルマガ今週末2月28日日曜日発行します。 読者数2000人以上。ご登録はこちらから↓ (メルマガ)たった1分でできる「FX勝ち組への意識改革」(PC版) ※ご参考になったら押してあげてください↓
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