私が相場から学んだことの話を続けましょう。
何度も書いてはいますが、
すべての人間の行動原理は「自分が気持ちよくなりたい」に集約されます。
人間はエゴイストであるということを相場から教わりました。
むろん、人間の食欲、性欲、睡眠欲などの基本欲求は、
すべて自分が気持ちよくなりたいが為の純粋な欲求です。
それ以外の精神的な欲求も全部「自分が気持ちよくなりたいが為」に集約されます。
人間は、この欲求が満たされない=気持ちよくなれなければ、たちまち怒り出すのです。
たとえば、我々がオリンピックで、メダルを取った選手をたたえるのは、
タテマエを全部とっぱらえば、結局は応援していた自分が気持ちよくなれたからです。
だから、よくやったぞ!と熱狂的にたたえるのでしょう。
自分が気持ちよくなれたからこそ、選手をたたえるのです。
これは誰でも気持ちよくなれるケースです。
反対にメダルを取れなかった選手を叩くのは、自分が気持ちよくなれなかったからです。
だから、怒っているのですね。
その場合は、遠回しに実力が足りないとか、あのゲームはこう攻めるべきだったとか、
批評家のような言い回しで、その怒りを表現することでしょう。
でも、なんのことはない、
ただその人を通じて自分が気持ちよくなれなかったから不満なだけなのです。
一方で、メダルを取れなかった選手を素直にたたえることができる人もいます。
それは、それでも十分に気持ちよくなれたからです。
このタイプの人は、選手の勝ち負けよりも、
これまでの地道な努力や試合でのがんばる姿に美意識を見出しているのです。
まあ、最後のタイプの人が性格が良さそうに見えますね。
けれども、どれにしたって人間は、単純に自分が気持ちよくなれるかどうかを
物事を評価する判断基準にしているのです。
それは言い換えれば、とても残酷なことですが、
人間は自分を気持ちよくしてくれる人や物事にしか興味がないのです。
・・・しかし、そのことに気づいたあとは、
それを逆手に取って考えることで、最強の処世術を身に着けられます。
たとえば、異性にモテたいのならば、
その異性を気持ちよくさせればいいだけの話です。
異性が見ていて気持ちよくなれる外見、身だしなみ、言葉遣い、考え方、
それを身につければ、たちまちモテるようになるはずです。
就職を成功させたいのならば、
その面接官が見ていて気持ちよくなる外見、身だしなみ、言葉使い、考え方、
それを身につければいいのです。
小説家として成功したいのならば、
読者が読んでいて、気持ちよくなるストーリーを考えればいいのです。
反対に自分を気持ちよくしてくれない人やモノ。
そんなものには、誰も見向きもしてくれない、まったく価値がないのです。
だから、人に無視されたり、冷たくあしらわれたり、怒られたりしたのならば、
あなたがその人を気持ちよくすることができていないということです。
だからこそ、他人を気持ちよくさせようと思うことは大事なのです。
「自分は人を気持ちよくさせることができているか?」
「どうすればこの人を気持ちよくさせられるだろうか?」
それを念頭において常に考え続けていけば、
人間関係、仕事、なんでも上手くいくはずです。
さて、人間の共同体の社会でうまく生きていくには、
そういう考えでいいのですが、ところが捻くれた相場では、
そんな「気持ちよくなりたがっている人」がえらい目にあう困った世界です。
相場では、気持ちよいことはすべて損することで、
気持ち悪いことがすべて得をすることになっている。
このような逆さまの構造をしています。
大きく儲けたいと思う人は、よっぽど気持ちよくなりたいのでしょう。
だから、レバレッジを上げてリスクを取ります。
結果は痛い目を見ます。
損切ができない人は、気持ち悪いことはしたくない人です。
損切は、とても気持ち悪い行為です。だから、なかなかできません。
でもやらないと、痛い目を見ます。
ならば、これの逆をやればトレードは上手くいくはずです。
しかし、自分も人間だから、あくまで気持ちいいことしかできません。
だからわかっていても、欲に負けてレバレッジを上げるし、
わかっていても、生理的に気持ち悪い損切をすることができない。
そうじゃないですか?
そうであれば、考え方を少し変えましょう。
たとえば、苦しいダイエットをしているのに、
気持ちがいいと思うことがあるでしょう。
それは規則正しい生活ができたり、コツコツと体重が減っていく様に、
食欲以上の気持ち良さを感じるからです。
そう感じることができたら、ダイエットが大好きになるはずです。
普通なら気持ちいいと感じるポイントは、食欲にフォーカスされていますが、
フォーカスのポイントを禁欲にスライドできたということです。
おいしいものを腹一杯食べる快感 < 体重が減って美しいスタイルが手に入る快感
・・・というように、自分が快感を感じるポイントが変わっているのですね。
僧侶が欲を捨てることができるのは、欲を捨てる様が気持ちいいからです。
厳しい生活も、それにより自分が高潔な人間になれるのだとしたら、
気持ちがいいことに思えるはずです。
気持ちがよくなれば、厳しい修行も続けることはできるでしょう。
これらは、倒錯的な快感です。
いうなればストイックな気持ちよさというものです。
トレードもこの考えと同様に、規律を守ることに気持ちのよさを見出せるようになれば、
欲深いトレードはしなくなりますし、損をしても規律が守れていれば怒ることはありません。
怒らなければリベンジトレードみたいなこともやらないはずです。
繰り返しますが、人はどうころんでも、どんなに高尚なことを述べていても、
根底には単純なエゴイズムしかありません。
あくまで「自分が気持ちよくなりたい」というのが行動原理になっています。
それはこの私でも同じです。
人間である限り、いかなる時も気持ちよくなりたいと思い続け、
気持ちよくなれなければ、たちまち不満を述べる、愚痴を吐く、怒り出します。
そんな自己中な存在なのです。
しかし、本能で動く動物とは違って、幸いなことに人間は考えることができます。
どうすれば自分が気持ちよくなれるか、どんなことに気持ちよさを感じられるかは、
主観的なものであって、自分の考えで自由に変えられるのです。
相場では、儲ける気持ちよさより、規律を守る気持ちよさ、
その倒錯的な快感を知ることが勝つために必要なのです。
具体的には成績をエクセルでまとめながら、トレードの分析をしていき、
その行為が楽しくなってくれば、規律を守ることに快感を覚えている印です。
それができれば、捻くれた相場に適合したメンタリティを身に着けられるでしょう。
さて、私が相場から学んだ
「人は皆、気持ちよくなりたいと思っている」という真実は
とても役立ちました。
社会で上手く生きるには、自分より先に、まず彼らを気持ちよくさせればいい。
その最強の処世術を間接的に相場から教わったのです。
どんなときに自分が気持ちよくなれるかを考えて、それを他人に実行すればいいのです。
一方で、自分自身は、トレードと同様にストイックな行為ですらも、
気持ちよく思える感覚を身につけたい。
つまり、どんなことや、どんな人からも、
何らかの気持ちよさを見つけられる感受性を鍛えれば、
人生楽しくなれるし、また怒ることも少なくなるはずです。
怒るということは、自分が気持ちよくなれていないことの証です。
怒るのは、自分の心が未熟なのではないのです。
ただモノの見方が偏っていたり、狭いだけなのです。
オリンピックを勝ち負けの狭い範囲でしか見ていないのならば、
それはメダルが取れない選手を叩いて当たり前でしょう。
でも、その選手の努力や人柄まで感心できる感受性があれば、
メダルを取れなくてもその活躍を素直にたたえられるはずです。
どんなことからでも、気持ちよく思えることを見つけられるように、
フォーカスポイント(モノの見方の角度)を変えることができればいいのです。
モノの見方が変われば、気持ち悪いことも、気持ちよくなり得ます。
そうすれば怒りや不満は各段に少なくなり、楽に生きられるようになるはずです。
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