私が相場から学んだことの話の続きです。
私はトレーダーになってから、
人間は、タテマエではなんだかんだと偉そうなことをいっていても、
結局はみんな「感情」で動くものだ、ということを思い知らされました。
相場で生きるには、徹底して人間観察しなければなりません。
おこがましいことではあるのですが、自分が人間であることを忘れ、
宇宙人の視点から、人間の群れを観察して、
どういう生態なのかを考える必要があります。
自分を人間から切り離して、人間というものを冷静に観察していくと、
人間の行動原理が単純であるときにふと気づくときがあります。
人間はなんだかんだといっていても、
結局は、群れで感情を共有=「共感」しながら生きています。
たとえば、お笑いを見に行くと、漫才師が笑わせてくれますね。
ウケるポイントがあれば、そこで、みんなワハハと一緒に笑う。
人によって、どこに笑いのツボがあるかは、微妙な違いはありますが、
たいていの人が同じところでクスクスと笑い、
そして同じところでワハハと爆笑するはずです。
ニュースを見ている人たちも、
たいていの人が同じところでけしからんと憤りを感じ、
たいていの人が同じところで同情を感じます。
最近はテレビ番組の感想がネットやSNSですぐにわかりますが、
やはりたいていの人が同じポイントで同じ感情のアクションをしています。
これは裏を返していくと、人間というのは誰しも個性的に生きたいと思いながらも、
心の底では、みんなとつながりたいと思っているのです。
簡単に言えば、みんなと喜びや怒りや笑いを共有したいのです。
おひとりさまが多くなってきた昨今でも、心はつながりたいと思っている。
リアルで群れることができない彼らも、しっかりとネットでは群れているはずです。
そこで彼らは同じ感情を共有し群れをつくる。
いうなれば感情の群れを形成しているのです。
この「人間は常に共感したがっている」という本能を逆手に取れば、
ビジネスでは成功することができるでしょう。
たとえば小説や漫画でヒット作を出すにはどうしたらいいか?
実はストーリーなんて適当でもヒット作を生み出せます。
現在のドラマや映画のストーリーなんてどれもどこかで見た話しで、
差別化なんて難しいでしょう。
だとすると、あとはキャラクターの魅力が決め手になるはずです。
乱暴に言えば、話は二流でも、とりあえずキャラクターを登場させて、
笑ったり、泣いたり、怒ったりする場面を作ればいい。
それだけでヒット作になり得る要素があるのです。
そのためには、読者がどういうときに笑うのか、泣くのか、怒るのかを
徹底的な第三者視点で考えることでしょう。
もっと細かく言えば、どういうときに、
けしからんとか、かわいいとか、おいしそうとか、なんだこりゃとか、
そういう風に思うのかを考えつくす。
そして、それがわかったのならば、そのシーンをご丁寧に用意してあげれば良い。
それだけでヒット作になり得ます。
たとえばどんなシリアスな漫画や映画にも、笑いのシーンというのがありますよね。
全編シリアスで通したら堅苦しいから、
ヒロインが皿を割ったり、ドジをしたりしてちょっと笑うシーンがある。
「こういうことあるよなぁ」「おれもよくやるよ」と読者や視聴者を笑わせて和ませる。
または、食事のシーンは、人間の共感を呼ぶ鉄板シーンです。
なぜなら、人間は毎日食事をしているのだから、共感させやすいのです。
例を挙げればゴッドファーザーシリーズの兄弟の会食シーンや、
ルパン三世のカリオストロの城で巨大なスパゲティを食べるシーン。
なるべく腹ペコの前ふりをしてから、うまそうな料理を見せればいい。
うまそうに見えるシチュエーションを御膳立てしてあげる、ということです。
いかにもおいしそうな料理、そしておいしく食べる人を見ると、
必ず人間は同じアクションをしてくれます。
SNSによる実況放送があれば、
「うまそ〜!」「おなかすいてきた!!」と、似たような感想が並ぶはずです。
もしストーリーがいまひとつであったとしても、
このように共感させることができれば、視聴者は満足するものです。
その視聴者の共感を計算して起こすことができれば、ヒット作になり得るでしょう。
他のビジネスも同様で、そのように多数派が共感するものを作り出せば成功するのです。
以前にコフートの心理学を題材にしたときに解説しましたが、
人間は「共感」をするときにカタルシスが生まれるのです。
それは「快楽」と言い換えてもいいでしょう。
人間は気持ちよくなりたいから、共感をする、と私は思っています。
読者が小説や漫画を読むのは、それを読んで、
怒り、悲しみ、泣き、笑い、喜びたいから、読んでいるわけです。
その共感をひっくるめて「感動」というわけです。
エンターテインメント産業は、それを意図的に仕掛けているのです。
感動といえば、昨今ニュースで「感動ポルノ」という言葉が注目を浴びました。
障害者がスポーツに励む、その姿を見て健常者が感動する。
「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアが作る。
それを見た健常者が感動をして「勇気をもらった、励まされた」と言う。
それは結局、健常者が障害者をネタにしているだけであって、
いうなれば刺激的なモノ=ポルノを見ているのと同じだ。という批判です。
ちょうど24時間テレビの裏でETVが感動ポルノについて特集していたために
大きな注目を浴びました。その批判はもっともと思うのですが、
私が思うに、別にそれは障害者にまつわることに限りません。
もともと、この世のすべてが「感動ポルノ」なのです。
メディアが仕掛けていることのすべては「感動ポルノ」でしょう。
高校野球もオリンピックも感動ポルノだといえます。
しかし、メディアだけが悪いわけではなく、
メディアはニーズに答えているだけにすぎません。
人間は常に感動という快楽を求めている。常にそのニーズがある。
だから、その快楽を提供せざるをえないのです。
それはエンターテインメントに限りません。
ジャーナリスティックな報道ニュースも、なんでもそうだと思います。
なんでもかんでも美談に仕立て上げられたり、
なんでもかんでも涙を誘うように伝えたりするのは、
それはテレビが悪者ではなく、視聴者がそれを欲しているから、そうなってもいるのでしょう。
人間は誰かと共感したい。心を一緒にしたい。常にそのニーズがある。
そして、そのニーズはテレビだけに限らず、我々個人にも向けられています。
日々暮らしている我々個人も、誰かを感動させなければならない。
共感するネタを与えて、彼らを快楽に浸らすことができなければ、
彼らにとってその人は価値がない。役に立たないと群れから外されてしまうのです。
私はやっていないのですが、
あなたがフェイスブックをやっているのならば、それは作家と同じ使命があります。
フレンドたちは、共感して気持ちよくなりたいがためにフェイスブックをやっているのです。
あなたは作家と同じように、彼らがどんなときに気持ちよく思うのかを考え、
美味しい食べ物や、綺麗な花や、楽しそうな場所や、
怒ったことや、泣きそうになったことを書かなければならない。
そして自分を共感させることができないフレンドには、ハッキリ言って価値がない。
記事が自分の自慢ばかりならば、ツマラナイと切られるだけでしょう。
別にフェイスブックをやってなくても同じです。
あなたに友人がいるのならば、その友人を共感させることができないと、
自然と疎遠になるでしょう。
他人を共感させるためには、自分を開示していく必要があります。
しくじり先生のごとく、自分の失敗経験、苦労したこと辛かったこと、
あるいは、成功経験、ドキドキしたこと、楽しかったこと。
それを話していけば、友人は自分のことを重ね合わせて共感してくれるでしょう。
そこに友情が生まれるのです。
逆にいえば、自分のことを語らないシャイな人は、友人なんてできません。
あるいは、共感するポイントが、多数派からズレている人も同様です。
それは高倉健みたいに寡黙で尊敬できる人だとか、
天然で面白いキャラとか、芸術的な人だとか
良い方向で認知してくれればいいですが(それも一種の共感なのですが)
どこか変わった人だ、よく分からない人だと認知されれば、
そこに自分とは共感・接点が生まれないので、友情も生まれないでしょう。
よって、そういう人は友人も少なくなるのです。
まあ、これは私自身の反省でもあります。
私もシャイな性格でしたから、友人は少ない方でした。
なんとなく自分の話をペラペラとするのは、
かっこ悪いとか、恥ずかしいとか、打算的だとかそう思っていたわけですね。
しかし、自分自身が他人を共感させることができなければ、友情など生まれません。
単純な話、他人は喜ばないので、自ずと去っていくものです。
仙人みたいな孤高の生活をしたいのならば別ですが、
友人や人脈を築いていきたいのならば、
「汝の隣人を共感させよ」ということです。
繰り返しますが、人間は群れで行動するものです。
それは国とか会社とか家族とか、リアルな群れもそうですが、
目に見えない感情レベルでも群れているのです。
人間は同じところで怒り、同じところで泣き、
同じところで苦しみ、同じところで喜んでいる。
感情という面だけみても「群れている」のです。
しかし、そういうとあなたは疑問に思うかもしれませんね?
それならば、どうして世界で戦争が続くのかと。
なんでイスラムとアメリカは争っているのかと、
なんで中国と日本は仲が悪いのかと。
人間が同じところで同じ思いを感じるのであれば、
なぜ仲たがいが起こるのかと。
それは以下で説明しますが、単に「立場」が違うからです。
同じ「立場」になれば、同じところで喜び悲しむはずです。
さて、多くの人にとって、相場もまた同じなのです。
相場も、一種の感動ポルノと同じ状態になっているわけです。
彼らは相場で怒ったり泣いたり喜んだりする。
損した、儲かった!という裏で、その感情に麻薬のようにどっぷりと浸ることができる。
そして、いつの間にか、儲けることではなくて、その感情の快楽を体験したいがため、
つまり感動ポルノを味わいがためにFXをやるようにもなるのです。
もちろん感動ポルノを味わうためにトレードしていてはダメでしょう。
トレードで勝ちたいのならば、トレーダーたちの感情を読んでください。
トレーダーも同じ人間です。
同じところで怒り、同じところで苦しみ、同じところで喜んでいます。
ただし、「立場」によってそれは異なるということです。
ロングしている人とショートしている人では、
同じ人間でも当然ながらどこで怒り、どこで苦しむかはまるで違うでしょう。
また同じロングしている人でも、現在USD/JPYは102円前後ですが、
100円からロングしている人と105円からロングしている人では、やはり立場が異なります。
前者のほうが気楽で、後者のほうが苦しいはずです。
自分が苦しいと思ったとき、同じ立場の人は同じく苦しい。
それは良く分かります。
しかし、反対の立場の人は、そこで喜びを感じているかもしれない。
つまり、立場ごとのトレーダーたちの感情を全部考えるということです。
ここでロングしている人、あそこでショートしている人、
長期のポジションの人、短期のポジションの人、
すべてのトレーダーの立場を考えて、その感情を統合して読んでいけば、
相場がどのように動いていくかは、次第に見えてくるはずです。
その感情が動くポイントというのが、相場が反転するポイントでもあるのです。
苦しみを感じた人は、ポジションを損切るかどうか迷っている。
喜びを感じた人は、ポジションを利食いするかどうか迷っている。
苦しみと喜びどちらを感じている人の方が多いのか・・・?
相場が動くタイミングというのは、人間の感情が動くタイミングです。
そして、チャートに描かれるラインや図形は、ただの線や形ではないのですね。
そのテクニカル分析のベースには、確かに人間の感情が流れているのです。
人間は感情で動く、故に相場も感情で動いているのです。
それがわかってくると、人間を宇宙人視点で見ることができるようになる、
すなわち勝者のメンタリティを身に着けることができるはずです。
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